入院(6)

入院のハシゴになってしまった左手が異常に膨らむ病気の名前は「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という病気らしい。WIKIの説明では「基本的には黄色ブドウ球菌などによる皮膚感染症である。感染部位は真皮から皮下脂肪組織である。顔面、四肢に好発し、境界不明瞭な局所の発赤、腫脹、疼痛、熱感が急速に拡大する。」とある。顔面に発症せずに助かった。左手に強烈な痛みを感じている状態でも体温は37度以下で経過した。左手の指は5本とも正常に動き、パソコン操作にはほとんど不自由さを感じない。左手は甲が膨らんでいるが、昨日から再開した入院点滴の効果で痛みは感じない。したがって症状は軽度の炎症の範囲であろうと考えている。入院診療計画書の推定される入院期間には「10月16日~未定」とある。今回の入院でも一日2回に分けて抗生剤の点滴を受けている。一回は約30分で終了する。体の中に細菌が入って細胞を殺しているらしい。関節の間に最近が入り込むと治療が困難になるので、早急に治療することを勧められた。大学病院に転院して診断を受けることも考えたが、その場合には最初受信した病院の医師に紹介状を書いてもらう必要があるらしい。大学病院に直接行くとあまり相手にしてもらえない病気らしい。つまり大学病院で治療が必要なレベルの難しい病気では無いというのが一般的な考えのようだ。わが身について言えば、あまりにも痛みが続くので希望して入院して点滴を受けた。この病気は皮膚科専門医のお話では500名に1名程度のあまり一般的では無い病気なので、一般の整形外科では治療方法が抗生剤によるありきたりの処置しか期待できないようだ。今度入院した病室は5階で、南に面した窓からスカイツリーがぼんやりと見える。さて何時になったら退院できるのやら。

入院(5)

最初の病院に入院し5晩過ごし左手の異常な膨らみも点滴の効果でほぼ消えたので退院した。抗生剤の薬と痛み止めの薬も処方してくれた。自宅に戻っての夜、左手はまた激しい痛みが感じられ翌日にはまた異常な腫れが復活していた。つまり入院前の状態に戻ってしまった。点滴から薬の服用に変えたために一時的に膨らんだのかもしれないと、一日我慢して様子を見た。二晩自宅で過ごしたが左手の異常な膨らみは変化なかった。そこで仕方なく別の病院を知人に紹介してもらい、自宅近所の病院をあきらめ、電車で1時間以上かかる病院で診察を受けることとした。今度はMRIを装備している近代的な建物の病院だった。ここでも何がきっかけで左手が膨れましたかと何回も質問を受けた。経緯は説明したがきっかけとしては直接の原因は思いつかないと何回も説明した。結局再度点滴が必要であると入院を勧められ、また入院することになった。検査では血液を普段の血液検査3回に相当するのではないかと思われるほど採取し、MRIで手首の撮影、レントゲンでは胸、左手首、右手首を各々向きを変えて2回ずつ撮影した。その後再度診察があり左手の膨らみに注射針を刺して薄赤色の液体をもみだしていた。たまっている液体の成分を調べるという。人生で初めて入院のハシゴとなった。

入院(4)

病院で診療を受けてから5日経過して左手の異常な膨らみが正常と思われる状態まで萎んだ。明日退院になったが抗生物質の薬を与えられ次の土曜日に診察することになった。入院してベッドで寝ていても夜中に何回もトイレに行く。これは一種の持病になってしまったから仕方がない。廊下の向かい側に入っている高齢の患者はどうしているのかと疑問におもった。今朝掃除のおじさんが話していた。土曜を含めて3日ほど休日だったので、掃除の作業は紙おむつがどっさり出たそうだ。病院ではいくつかの最新電子機器を目にした。受付では赤外光を額に照射して対応を計測していた。人に触れることなく、短時間で計測できるので便利とのこと。ただ機材が高価なので普段の検温は従来型の体温計を使っていた。膀胱にたまっている尿を計測する超音波センサーは初めて見た。ベッドは電動で背もたれを簡単に起こすことができた。小さな冷蔵庫にはペットボトルと乳製品などを少々入れるには十分であった。ただ建物がかなり古い、昭和の匂いがする。まあ吾輩にはお似合いかも知れない。

入院(3)

点滴を土曜の午後に始めて、二日後の今日朝、つまり月曜の朝にパンパンに膨れた左手に改善の兆候が表れた。ほんの少しだが腫れが引き始めた。最初の診断では抗生物質薬品を処方され、火曜の朝まで自宅で様子を見るように言われた。お医者さんに逆らうようだが一日後の土曜日に再度同じ病院に駆け込んで入院し、点滴をしてもらったのが大正解だった。三晩手の痛みに耐えなければならなかったことを考えると入院して痛みから解放されただけでも助かった。病院の窓から外を見ると道路を挟んでスーパーの壁がある。壁の周囲には植え込みがあり、綺麗に刈り込まれている。小学校か中学校の国語の授業で学んだ「最後の一葉」というフランスの小説を思い出した。臨終間近の老人が壁に絡まったツタの葉の残りを毎日勘定している。冬が近づいてきた秋の風はツタの葉を吹き飛ばしてしまう。その様子を見た友人(家族かも知れない)は、ツタの葉が全て散ったときに老人は天国に向かうと心配する。ツタの葉は不思議なことに冬が間近になっても「一葉」だけ散らずに残っていた。老人はその一葉を毎日ジッと眺めていた。やがて老人は天国に召されるのだが、短い小説の最後で残ったツタの葉は誰かが描いた絵だったと教える。この小説は人の最後を綺麗に若者に教えてくれた。私が入った病院の扉の向こうでは、人生の最後に近づいた同年代が格闘している様子が感じられる。「最後の一葉」のように静かに天国に召されたいものだ。

入院(2)

左手が異常に膨らむ病気にかかり、病院で診察処方してもらった抗生物質では全く効果がなかったため、病院にお願いして点滴を受けるために入院した。点滴を受けるには注射針をささなければならない。左手手首下に点滴用の注射針を刺し何種類かの点滴剤を入れてから、左手は冷やしながら一晩過ごした。左手のじわじわ来る痛みは感じなかったので一晩良く寝ることができた。これで何とか助かりそうと思ったが、左手のふくらみ状態は昨日とあまり変化ない。幸い指先は動くので何とかパソコンキーボードの操作はできる。点滴は効果があるが、その効果は少しずつしか感じられない。担当医が当面1週間の入院と話していた理由が分かった。焦らずにゆっくり入院していることに腹を決めた。手の耐え難い痛みが点滴のおかげで引くと、部屋の外から聞こえてくる音が気になり始めた。看護師さんがせわしく歩く足音、食事を運ぶワゴン車の車輪の音、か細い声で助けてくれと繰り返す高齢男性の声、・・・。健康年齢の71歳を過ぎると誰もが聞くことになる音が否応なしに耳に入ってくる。

入院

数日前から妙なことが自分の体に発生した。自宅に戻って車を降りると両足の膝に痛みが走り歩くのに努力が必要になっていた。翌日は一日幕張メッセでの展示会にロボットを運ぶと約束していたので早朝に出かけ、広い道路を挟んで幕張メッセを眺めることができる駐車場に車を入れて1階の喫茶店で500円のモーニングサービスをいただいた。一日国際フォーラム三階会議室とその周辺で立ち仕事をしていた。膝は相変わらず痛かったので歩行はぎこちなかった。昼食は一人でホテル内のローソンに行き、パンとコーヒーを買い、レジ袋を手にもって幕張の浜まで海岸の波の様子を見に行った。東京湾は予想よりもはるかに水が綺麗だった。夕方5時過ぎにロボットを車に載せ、自宅に戻ったときは疲労困憊だった。さらにその翌日は午前中に打ち合わせが予定されていたので東京駅まで電車で出かけた。午後夕方の打ち合わせはキャンセルした。午後は自宅で休養したが、その夜は左手の甲がふくらみ痛みが強くて寝ることが困難だった。翌朝まで8時間ほど痛みを我慢して、朝8時半に近所の病院で診察を受けた。看護師さん2名、お医者さん2名に同じ内容の症状を説明したが、誰もが怪訝な顔をしていた。説明する病状が今まで聞いたことがない妙な話に聞こえたようだ。結局抗生物質と痛み止めの薬を処方してくれた。家に帰って昼食後に薬を服用し左手の痛みは改善し、これで治ると思ったがそうではなかった。就寝後にまた痛みが再発し左手甲はさらに大きく膨れてしまった。結局翌土曜日に再度同じ病院に相談し薬が全く効かなかったことを説明したら、点滴のために入院を勧められた。二晩も夜中に左手甲の痛みと格闘したので、同じことを三回経験したくなかったので入院することとした。当面一週間の入院と担当医が話してくれた。72歳になると健康寿命の71歳を過ぎているので何が起こるのかと従来考えていたが、その第一番がこのようなストーリで始まった。

健康寿命

日本人の男性は平均寿命が80歳、健康寿命は71歳という。現在71歳で72歳になる6月が目の前である。最近友達と話す機会があると切り出すのは健康寿命のことだ。同じ年代は、平均寿命について知っていても、健康寿命についてはあまり知らないようだ。健康寿命とは一人で生活が送れる、買い物や料理・食事が自立して一人でできること、と知っているかい?と聞く。直に72歳になるので、健康寿命はお終いだ。一人で生活できなくなるのかな?と友達に話す。半分冗談のつもりでの話だが、誰も笑い飛ばすような反応はしてくれない。息子の世代は、元気づけのために「80歳代でも元気な人を見かけるよ」と言ってくれる。今週末に小学校の同窓会に参加する予定だ。卒業後60年、同窓会の案内状に「これが最後の同窓会になるかも知れないので是非参加してください」と文言があり、それもそうだ、と参加してみることとした。同窓会に参加したら、まず自らの名前を名乗らないと顔を合わせた小学校の友人は自分が誰なのか分からなかろうと鏡を見て思う。「最後の晩餐」ならぬ「最後の同窓会」に出かけても話題をどうしたものか。頭の中には、小学校の頃の記憶は確かに残っている。今は消えてしまった木造校舎、小学校まで駅から歩いた道、成績の悪かった友人、頭の良い女の子。戦後70年は小学生時代に予想した第三次世界大戦が起こらなかったおかげで、予想外に幸せな生活を送ることができた。ありがとう。国会では自衛隊の位置づけについて議論がなされているが、平和な時代が続くことを願いたい。

健康寿命71歳「最後の晩餐」

日本人の平均寿命は男子で81歳と最近報道された。また一月ほど前に「健康寿命」71歳であるとテレビニュースで流れていた。人生が最後の10年となった現在、年代の若い人に会って「お元気ですね」と言われたときに「イヤー、私は健康寿命71歳でしてね・・・」と何回か切り出してみた。相手は困惑した表情になる。とりあえず話を続けて「健康寿命というのをご存知ですか?」と聞くと先方は興味がなさそうだ。「高齢者が一人で自律して生活できる状態を健康寿命というんです」。続けて「奥様に食事の準備をすべて任せてただ食べるだけでは健康寿命とは言えないと思いますよ・・・」この会話も若い世代にはあまりインパクトがない。しかし60歳代から70歳代には大きな反響がある。私自身自律して生活できる状態かどうか毎日確認するためにかなりの頻度で食事の支度をする。お味噌汁は極めて簡単な料理だ。小さなお鍋にお水を入れてガスコンロにかけ、カボチャ、お芋、お豆腐のどれかを適当に切り刻んでお湯の中に入れる。具が沸いたらお味噌を入れる、とそれだけだ。野菜炒めも簡単な調理だ。大きな中華鍋をガスコンロにおいて火をつける。味付けのためにベーコンを適当に刻んで鍋に入れ、そのあと冷蔵庫の中にある消費期限の切れた野菜から取り出して順番に切り刻み鍋に入れる。肉類も同じ手順だ。塩など調味料は入れない。高血圧に塩は大敵だと言われている。健康寿命の平均年齢71歳になった我が身としては、調理も健康寿命確認の一つの手段となった。自分で料理すると毎回同じような味気ない食事となるが、これが我が身の「最後の晩餐」である。何よりも女房がご機嫌になるのが健康の良薬・・・に違いない。

70歳代第二の戦い

70歳と半年で受けた健康診断で、左目の乳頭に出血の様子が見られるので精密検査を受診することを勧める、という文書が一月後に我が家に送られてきた。それから一月、隣の駅の眼医者さんを訪ね、事情を話して検査をしていただいた。初診だったので問診票に簡単な記入をして順番待ちした。看護師さんが手際よく、目の検査機器2種類で検査したのち、視力検査を行った。お医者さんのお話では、乳頭に出血があるのは緑内障に結びつく兆候だということで、視野角検査とより丁寧な眼底検査(だとおもう)をしていただくことになった。瞳孔を開く目薬を点滴するので、自動車で来院していませんね、と念をおして確認があった。幸い午後から雨になり、電車で出かけていた。
検査の結果は緑内障ではないと告げられた。白内障でぼやけて見えるのですね、とお話があった。それから白内障の手術に話が及び、健康なうち、少なくとも80歳までに白内障の手術をすることを勧められた。手術のタイミングは自分自身で目が見えにくく感じたら、という説明だった。
80歳は日本人男子の平均寿命である。90歳まで生存の予定であれば80歳までに手術する選択肢となろう。平凡に80歳ころで人生を終了する予定であれば、白内障の手術は必要ないことになる。さて、どうするか。また70歳代の課題(決断)が一つ提示された。